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ちゃらんぽらん日記

日々のあれこれ

息子4ヶ月*離乳食準備

 西松屋に離乳食準備に行ってきたが、買うものをリストアップして行ったにも関わらず、どれを買ったらよいか分からず、何も買わずに帰宅した。

 ネットで調べたり友人ママに聞いてAmazonで買ったのは結局次の3点。マグ、キッチンばさみ(分解できるもの)、歯がため。

 すりばち、すりこぎ、金ザル(裏ごし器)は後日ホームセンターで買う予定。

 食器は、スプーンはいただきものを使い、耐熱プラの取手付コップは今回は保留。離乳食初期は息子が食器を持って食べることはないし、いただきものの子ども用陶器製食器を使う予定。おかゆは炊飯器で米を炊くときに湯呑みで作る予定。

 小分け冷凍は製氷トレイとジップロックを使う。とりあえずこれで準備は終わりかな。あとは必要に応じて買い足していく予定。

 悩んでいた椅子は、腰が座るまでは子育て支援センターで借りてきたベビーラックを、腰が座ったらいただきもののベビーチェアを使う予定。

 マグはリッチェルのいきなりストローマグセットにした。息子がストローを吸えるか分からないので、コップの方で家で練習して、マグの方は外出で使おうかなと。

人付き合い

 あるコミュニティに属する全員を満遍なく知ることはむつかしいしそうする必要はまったく無くて、自分が興味のある人に的を絞ったらいいのだと気づいたら気が楽になったしそのコミュニティで活動するのがより楽しみになった。

息子が最近あまりミルクを飲まないことについて

 息子が最近あまりミルクを飲まない気がする。うちは完全ミルク育児で、一日の哺乳量を毎日育児日記に記録している。昨日は570mlだった。これは少ない。少し焦った。そこで落ち着いて、本当に最近ミルクを飲まないようになったのか、数値化して考えてみることにした。

 下記が生後0日目~生後90日目(昨日)までの哺乳量のグラフである。(目盛が分かりにくくてすみません。自己満足のために書いているので悪しからず。)

f:id:charanporan42:20160516014626p:plain

 これを見ると、なるほど確かに一日のミルクの哺乳量は減ってきているらしい。

でもまだなんだかよく分からないので、育児日記を一週間ごとの平均哺乳量を出してみた。

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 うんうん。これを見て分かったことは、

1.平均哺乳量のピークは生後27~33日(生後1ヶ月ごろ)であり、1日あたり1000mlほどであった。

2.それ以降、平均哺乳量は徐々に減ってきている。

3.先週(生後83~89日)の平均哺乳量は確かにその前の週(生後76~82日)より減っている。

4.その週(生後76~82日)の週は、生後41~47日より約1ヶ月ぶりに平均哺乳量900mlを記録した週だった。

 

 

 ということだ。

 私はこれを見て少し安心した。なんだ、3、4によれば、生後76~82日の週に少し飲みすぎて、今は食傷気味なだけではないのか、と。

 それにしても昨日の570mlは少ないけれど、息子の機嫌はすこぶる良いし、少しネットで調べてみただけでも生後3~6ヶ月の赤ちゃんがミルクを急に飲まなくなることはよくあることらしく、焦らなくても良いということなので、もう少し様子を見てみることにしよう。

 (ちなみに、生後9日(育児日記をつけ始めた日。それ以前は産院でもらった記録用紙に記録していた)以降の平均哺乳量は826mlだった。うちの息子は1日あたりだいたいこのくらいを目安に飲んでいるらしい。ということも分かった。)

 急に哺乳量が減って焦った自分を落ち着かせるための自己満足のための記事でした。読んでくださった方ありがとうございました。

 

どうして私は本を読むのかということ

 『十五歳の残像』という本を読んでいて、十五歳の自分はどんなだったか思い出してみると、していることも考えていることもまったくかっこ悪くて、はじめは少し恥ずかしくなった。でも考えてみれば、恐らく、かっこ悪いから本を読んでいるのだと思う。
 どういうことかを今から書くけど、私は十五歳の頃、人の目ばかり気にしていて、人に嫌われることを何よりも恐れていた。程度の差こそあれ根本的には今もそれは変わっていない。ひとりでは孤独に耐えられなくて、人を求め、嫌われることを恐れてしまう。最近の私はまさにそんな風だった。
 一方で、私は頭のどこかで、心のどこかで、そんなことは必要ないことも多いということを知っている。私は私であり、自分らしくいればいい。誰かに合わせたり取り繕うことはしなくていいし、何かに迎合する必要もない。
 最近忘れていたそのことを、ネットでたまたま見つけた丸山ぬめりという人のブログを読んでいて、はっと思い出した。途端に、呼吸ができる、と感じた。知らず知らずのうちに息苦しく感じていたらしい。
 つらつらと書いて分かりにくいだろうから要するにということを最後に書いておくと、本当は何かに迎合することなく自分らしく生きていきたいのに、普段は何かに絡め取られがちでびくびくして生きていて苦しいから、それから解放されていいよと教えてくれるのが本だということだと思う。要するにが長すぎるか。なんだか最近、つらつらと思いつくままに書くのが好きだから。
 終わり。

 

十五歳の残像

十五歳の残像

 

 

 私は「食」を大事にしたい。だから夕食はいつもなるべく手作りしたいし、調味料は質のいいものを使いたい。食事のときは家族で会話しながらゆっくり味わいたい。夫にもそうしてほしいと思っている。今はこたつ机で角を挟み45度の角度で向き合い、二人ともテレビに向かって食べている。これを変えたい。テレビに向かわず二人真正面に向き合って食べたい。できるなら、キッチンに食卓を置いてそこで食べたい。夫に伝えてみよう。

表現

 私はこのブログを書くことによって何かを表現していることになるのだけど、最近ある本を読んで、表現とは言葉によるものに限らない、ということを少し考えていた。もちろん音楽やダンス、演劇も表現だし、日常の中で自分が発する言葉、着るもの、化粧、たたずまいや肉体なんかも表現になり得るわけだ。

 そう考えると、私は多くのことで意識的に表現しないということを選択してそれが結果的にひとつの表現となっている、ということに気づいた。人は自分を表現する術をたくさん持っていて、無意識の中にその中からひとつ、あるいはふたつとかみっつとか選んで表現している。たとえば、私の夫は体を鍛えることに日々勤しんでいるのだけど、彼は肉体を鍛えるという表現方法を無意識に選んで日々そのために努力しているわけだ。

 文学や美術が割と好きなくせに、表現について改めて考えたことなどなかったのだ、ということに思い当たった。(それでいいのかよ…よくないよな。)だから、表現について大したことなんか何も言えないのだけど、どの表現方法を選ぶか、大切にするかにその人らしさが出るのだなあと思ったらなんだか面白くなった。自分のことや人のことを、様々な表現方法という角度から見直してみたら、もっと自分のことや人のことを理解できるような気がした。

 

理解という名の愛がほしい??おとなの小論文教室。II

理解という名の愛がほしい??おとなの小論文教室。II

 

 

育児の、母親の孤独感について

 育児中の母親は孤独感を抱える人が多いと言う。日々を子どもと家庭で過ごすことで、社会から必要とされていないような疎外感を感じると言う。誰よりも自分を必要としてくれる人が目の前にいるのに、孤独感という沼にはまってしまう。先日放送されたNHKスペシャルでは、育児中の母親が孤独感を抱えるのにはエストロゲンというホルモンが関係しているとされていた。しかし、ホルモンのせいで片付けるのではなく、自分なりに納得できるよう孤独感について考えてみた。
 結果、孤独感の裏側には、「孤独」と「孤立」という二つの要素があると私は思った。「孤独」は悪いことではない。その道のプロフェッショナルは誰でも孤独なものだ。子どもを産むというのは家庭という責任を負うということで、責任を負う人は誰しも孤独から逃げることはできない。孤独を受け入れて、自分の持ち場で一所懸命生きることだ。そこに専業、兼業の区別はない。
 一方で、「孤立」は避けなければならない。本来、育児は母親ひとりで行うものではないのだから、ひとりで悩まず、外部に助けを求めた方がいい。夫の協力、地域の繋がり、社会に居場所を見つけること。どれも大切なことだ。
 孤独感の正体は、「孤独」と「孤立」をいっしょくたにして受け止めきれなかった結果、精神的に辛くなってしまうのではないか。「孤独」を受け入れる覚悟と、「孤立」を避ける賢さの両方を持ち合わせていたい。