ちゃらんぽらん日記

日々のあれこれ

障害者として生きる

 私は人生の中である一時期、色んなことから逃げていた。その時期があるから、これから先逃げるということはしたくないと思っている。なぜなら、逃げた自分に言い訳をしながら生きるのはもうこりごりだからだ。では、逃げたことともう一度向き合うのか、それとも逃げた先にあったことと向き合うのかということになると思うのだが、私の場合は後者だった。私が色んなことから逃げたのは、いちばん自分が向き合わなければならないことから逃げていたからだと次第に気づくようになった。そのいちばん向き合わなければならないこととは、自分が精神を患っているという事実だった。私は次第にそれと向き合うようになった。自分の持つ障害と向き合い、それを受容した。それには、今も大切に思う方々との出会いがあった。そのことを、これからも大事にして生きていきたいと思う。これまで私は言葉にして言うことはなかったけれど、私は「障害者」として生きていこうと思う。それがどういうことを意味するのか、これから先も考え続けることを含めて。

いじめられた記憶

 実際にあったことなのかはたまた夢や妄想の名残なのか、ずっと曖昧だった記憶がある。誰かに確かめるのも怖くて、時々思い出してはもやもやしていた。ふとしたきっかけがあって、それを確かめてしまった。それは、いじめられた記憶だ。曖昧で確実なことが何かも分からないので、憶測の混じった文章になるが、書き留めておきたい。

 私が高校生の頃、ネットいじめというのが流行りはじめた頃ではなかっただろうか。私が通っていた高校にも裏掲示板というものがあったらしい。恐らく、はじめ私はその存在を知らなかった。しかし何かをきっかけに自分の悪口がそこに書かれていることを知った。書いた人は、私が勝手に予想したのか実際に判明したのか今となってはもう確かめようもないのだが、2人、記憶に残っている。

 たぶん、本人たちはいじめているつもりなど微塵もなかっただろう。悪口を言っている自覚もなかったかもしれない。ただゴシップへの好奇心が尽きず、面白がってそれを書き込んだだけだったろう。

 これもまた断片的に残っている記憶の破片を集めて残った部分を想像するしかないのだが、そのとき私は「何も傷ついてなどいない」という態度を取った。痛くも痒くもないと。こんなことに「傷つく」なんて、私のプライドが許さなかった。そうして、私の中では「何もなかった」ことになった。

 それからは冒頭に書いた通りだ。思いもかけないときに記憶の断片が蘇ってくると、それが実際にあったという確証を持てないまま、ただ夢にしてはやけにリアルな断片たちを前にしていつも戸惑っていた。そして昨日、そういう掲示板が実在したことを友人から聞いた。それで十分だ。

 これから私はどうしたらよいのだろう。若さゆえの過ちと、相手を許すこともできるかもしれない。でも、心の奥底に刻まれた相手に対する恐怖心と警戒心は解けることがないだろう。

 それにしても、あれから10年ほど経った今になって事実を認めることができてよかったのではないか。客観的に見てあれがいじめだったかどうかには興味はないが、いじめられたと本当はあのとき心の奥底で私が感じていたことを私自身が認められたことが重要なのだ。あのときの私にようやく声をかけてあげられるとしたら一言、「つらかったね」と言ってあげたい。

100%正しいことなどない

 私たち夫婦の間でしばしば議題になることがある。それは、誰かの意見が絶対的に正しいことはあり得ないということ。私がそれを主張し、夫がそれに反論する。この間は「じゃあギャンブルをしたらいけないっていう私たちのルールも正しいとは限らないのか」と言われた。そのとき私はうまく答えられなくてモヤモヤしたのだけど、それに対する答えとしては、確かにそれもひとつの意見に過ぎないから絶対的に正しいとは限らない、しかし人は時と場合に応じて正しいと思われる選択をしなければならず、私たちの家庭では今のところそれが最善の選択ではないのか、ということだ。大事なことは、自分の意見が絶対的に正しいことはあり得ないのだということを知り、常に自分の意見を疑ってみて客観的に見る姿勢を持つことだろう。夫がそれを分かってくれるとよいのだが。

息子4ヶ月*離乳食準備

 西松屋に離乳食準備に行ってきたが、買うものをリストアップして行ったにも関わらず、どれを買ったらよいか分からず、何も買わずに帰宅した。

 ネットで調べたり友人ママに聞いてAmazonで買ったのは結局次の3点。マグ、キッチンばさみ(分解できるもの)、歯がため。

 すりばち、すりこぎ、金ザル(裏ごし器)は後日ホームセンターで買う予定。

 食器は、スプーンはいただきものを使い、耐熱プラの取手付コップは今回は保留。離乳食初期は息子が食器を持って食べることはないし、いただきものの子ども用陶器製食器を使う予定。おかゆは炊飯器で米を炊くときに湯呑みで作る予定。

 小分け冷凍は製氷トレイとジップロックを使う。とりあえずこれで準備は終わりかな。あとは必要に応じて買い足していく予定。

 悩んでいた椅子は、腰が座るまでは子育て支援センターで借りてきたベビーラックを、腰が座ったらいただきもののベビーチェアを使う予定。

 マグはリッチェルのいきなりストローマグセットにした。息子がストローを吸えるか分からないので、コップの方で家で練習して、マグの方は外出で使おうかなと。

人付き合い

 あるコミュニティに属する全員を満遍なく知ることはむつかしいしそうする必要はまったく無くて、自分が興味のある人に的を絞ったらいいのだと気づいたら気が楽になったしそのコミュニティで活動するのがより楽しみになった。

息子が最近あまりミルクを飲まないことについて

 息子が最近あまりミルクを飲まない気がする。うちは完全ミルク育児で、一日の哺乳量を毎日育児日記に記録している。昨日は570mlだった。これは少ない。少し焦った。そこで落ち着いて、本当に最近ミルクを飲まないようになったのか、数値化して考えてみることにした。

 下記が生後0日目~生後90日目(昨日)までの哺乳量のグラフである。(目盛が分かりにくくてすみません。自己満足のために書いているので悪しからず。)

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 これを見ると、なるほど確かに一日のミルクの哺乳量は減ってきているらしい。

でもまだなんだかよく分からないので、育児日記を一週間ごとの平均哺乳量を出してみた。

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 うんうん。これを見て分かったことは、

1.平均哺乳量のピークは生後27~33日(生後1ヶ月ごろ)であり、1日あたり1000mlほどであった。

2.それ以降、平均哺乳量は徐々に減ってきている。

3.先週(生後83~89日)の平均哺乳量は確かにその前の週(生後76~82日)より減っている。

4.その週(生後76~82日)の週は、生後41~47日より約1ヶ月ぶりに平均哺乳量900mlを記録した週だった。

 

 

 ということだ。

 私はこれを見て少し安心した。なんだ、3、4によれば、生後76~82日の週に少し飲みすぎて、今は食傷気味なだけではないのか、と。

 それにしても昨日の570mlは少ないけれど、息子の機嫌はすこぶる良いし、少しネットで調べてみただけでも生後3~6ヶ月の赤ちゃんがミルクを急に飲まなくなることはよくあることらしく、焦らなくても良いということなので、もう少し様子を見てみることにしよう。

 (ちなみに、生後9日(育児日記をつけ始めた日。それ以前は産院でもらった記録用紙に記録していた)以降の平均哺乳量は826mlだった。うちの息子は1日あたりだいたいこのくらいを目安に飲んでいるらしい。ということも分かった。)

 急に哺乳量が減って焦った自分を落ち着かせるための自己満足のための記事でした。読んでくださった方ありがとうございました。

 

どうして私は本を読むのかということ

 『十五歳の残像』という本を読んでいて、十五歳の自分はどんなだったか思い出してみると、していることも考えていることもまったくかっこ悪くて、はじめは少し恥ずかしくなった。でも考えてみれば、恐らく、かっこ悪いから本を読んでいるのだと思う。
 どういうことかを今から書くけど、私は十五歳の頃、人の目ばかり気にしていて、人に嫌われることを何よりも恐れていた。程度の差こそあれ根本的には今もそれは変わっていない。ひとりでは孤独に耐えられなくて、人を求め、嫌われることを恐れてしまう。最近の私はまさにそんな風だった。
 一方で、私は頭のどこかで、心のどこかで、そんなことは必要ないことも多いということを知っている。私は私であり、自分らしくいればいい。誰かに合わせたり取り繕うことはしなくていいし、何かに迎合する必要もない。
 最近忘れていたそのことを、ネットでたまたま見つけた丸山ぬめりという人のブログを読んでいて、はっと思い出した。途端に、呼吸ができる、と感じた。知らず知らずのうちに息苦しく感じていたらしい。
 つらつらと書いて分かりにくいだろうから要するにということを最後に書いておくと、本当は何かに迎合することなく自分らしく生きていきたいのに、普段は何かに絡め取られがちでびくびくして生きていて苦しいから、それから解放されていいよと教えてくれるのが本だということだと思う。要するにが長すぎるか。なんだか最近、つらつらと思いつくままに書くのが好きだから。
 終わり。

 

十五歳の残像

十五歳の残像