ちゃらんぽらん日記

日々のあれこれ

どういう本が好きかよりもどのような思いでその本を読んでいるかが知りたいと思うことについて。

  ひと口に本好きと言っても本好きには色々ある。 私が好む読書に対する姿勢とは、たとえば自らの幼さを知った上でもがき、その苦しさをどうにかしたくてその糸口を本に求めるようなものだ。人によってはそんな読書の仕方は反吐が出るという人もいるだろうけど、私自身がひとつにはそういう態度で読書しているし、同じような人を好ましいと思ってしまう。 博識になりたい賢くなりたいと思って本を読む人もいるだろう。もちろん私の中にもそういう下心があることは否定しない。しかし何か自分の中に確固とした強い動機のないまま、ただ漠然と本を読んでいる自分を周りに見せることで或いはどのような本を好むのかアピールすることで自分を実際より博識に賢く見せたがる人は苦手だ。そういう下心には敏感だ。もちろん私にもそういう経験が全くないとは言えないが。 ただ単に知識をひけらかすことで自分の体面を保とうとする人はものすごく苦手だ。では私の心から尊敬する博識だと思う人とそういう人と何が違うと私が感じるのか考えてみたところ、抽象的なことになってしまうが、愛情があるか否かだと私は思った。他者に対する大きな大きな愛情。しかしそんな人は恐らく滅多にいない。そこまでいかずとも、前述のように自らの幼さに悶え苦しむ経験をしたことがある人は好ましい。私にとって。それに尽きるのだけど。

なんとなく

 ずっと放置していたのでなんとなく更新。

 あとひと月ほどで2016年が終わる。10月末ごろから怠惰に日々を過ごしてしまった。生活態度はすぐに精神状態に反映される。料理をしなくなり、本を読まなくなったと思ったらすぐに不調がやってくる。逆もまた然り。残りの日々は少しでも心身ともに健やかに暮らしたい。簡単なもので良いので自分で何が食べたいのか考えて作る。一日の終わりには体を温めて心安らぐ読書の時間を設ける。とりあえずこのふたつを心がけて日々を過ごしてみよう。

倉敷

ふとしたきっかけで、3年前に倉敷へひとり旅をしたことを思い出した。当時はまだ25才、定職に就いていずただただ自分に自信がなくて、手に職をつけたいと考えていた。倉敷へ行ったのもその手がかりを得るためだったのだけど、その旅でその考えを捨て、同時にまず自分で生計を立てられるようになろうと決意したのだった。今思い出すひとつひとつが素敵な旅だった。

若いときはただそれだけで苦しいけど、時が経てば苦さとともに輝きがあったように思い出されるから不思議だ。平凡な人生だけど、こうして一歩一歩進んできたし、これからもそうしていくのだろう。苦しんでいる若い人をあたたかい気持ちでそっと見守れる大人でありたい。

原点に返る

 素敵な人に会った。その人とお話して、改めて自分の職業ややりたいことについて考えた。その結果決断し選択したものが二つある。

 一つは、私と夫は当分家は賃貸で構わないということだ。これは夫とも話し合って決めた。私も夫も今の職業に満足していない。だからと言って二人とも今すぐにやりたいことができる状況にはないのだが、いつかそれができる環境が整ったとき、迷わずそれに飛び込んでいけるよう、自由度を高めておきたいのだ。家やマンションを買うとなると、どうしても今の職業を定年まで続けることが前提になってしまうので、その選択はしないことに決めた。

 もう一つは、もう一度日本語の勉強をすることだ。やりたいことは何か改めて考えていて、原点に返ろうと思いついた。私は物心ついた頃から本が好きだった。中学生のときに英語に出会い、言葉や言語、特に母語である日本語への興味が強くなった。しかし、せっかく進学した大学ではそれらの勉強から逃げてしまった。逃げたことにもう一度向き合うことは、長らく私にはできそうになかった。勇気も要った。でも今なら雑音は気にせず自分のペースで向き合えそうな気がする。まず、原点となった一冊を今夜読み返してみようと思う。

 

日本語の年輪 (新潮文庫)

日本語の年輪 (新潮文庫)

 

 

 

障害者として生きる

 私は人生の中である一時期、色んなことから逃げていた。その時期があるから、これから先逃げるということはしたくないと思っている。なぜなら、逃げた自分に言い訳をしながら生きるのはもうこりごりだからだ。では、逃げたことともう一度向き合うのか、それとも逃げた先にあったことと向き合うのかということになると思うのだが、私の場合は後者だった。私が色んなことから逃げたのは、いちばん自分が向き合わなければならないことから逃げていたからだと次第に気づくようになった。そのいちばん向き合わなければならないこととは、自分が精神を患っているという事実だった。私は次第にそれと向き合うようになった。自分の持つ障害と向き合い、それを受容した。それには、今も大切に思う方々との出会いがあった。そのことを、これからも大事にして生きていきたいと思う。これまで私は言葉にして言うことはなかったけれど、私は「障害者」として生きていこうと思う。それがどういうことを意味するのか、これから先も考え続けることを含めて。

いじめられた記憶

 実際にあったことなのかはたまた夢や妄想の名残なのか、ずっと曖昧だった記憶がある。誰かに確かめるのも怖くて、時々思い出してはもやもやしていた。ふとしたきっかけがあって、それを確かめてしまった。それは、いじめられた記憶だ。曖昧で確実なことが何かも分からないので、憶測の混じった文章になるが、書き留めておきたい。

 私が高校生の頃、ネットいじめというのが流行りはじめた頃ではなかっただろうか。私が通っていた高校にも裏掲示板というものがあったらしい。恐らく、はじめ私はその存在を知らなかった。しかし何かをきっかけに自分の悪口がそこに書かれていることを知った。書いた人は、私が勝手に予想したのか実際に判明したのか今となってはもう確かめようもないのだが、2人、記憶に残っている。

 たぶん、本人たちはいじめているつもりなど微塵もなかっただろう。悪口を言っている自覚もなかったかもしれない。ただゴシップへの好奇心が尽きず、面白がってそれを書き込んだだけだったろう。

 これもまた断片的に残っている記憶の破片を集めて残った部分を想像するしかないのだが、そのとき私は「何も傷ついてなどいない」という態度を取った。痛くも痒くもないと。こんなことに「傷つく」なんて、私のプライドが許さなかった。そうして、私の中では「何もなかった」ことになった。

 それからは冒頭に書いた通りだ。思いもかけないときに記憶の断片が蘇ってくると、それが実際にあったという確証を持てないまま、ただ夢にしてはやけにリアルな断片たちを前にしていつも戸惑っていた。そして昨日、そういう掲示板が実在したことを友人から聞いた。それで十分だ。

 これから私はどうしたらよいのだろう。若さゆえの過ちと、相手を許すこともできるかもしれない。でも、心の奥底に刻まれた相手に対する恐怖心と警戒心は解けることがないだろう。

 それにしても、あれから10年ほど経った今になって事実を認めることができてよかったのではないか。客観的に見てあれがいじめだったかどうかには興味はないが、いじめられたと本当はあのとき心の奥底で私が感じていたことを私自身が認められたことが重要なのだ。あのときの私にようやく声をかけてあげられるとしたら一言、「つらかったね」と言ってあげたい。

100%正しいことなどない

 私たち夫婦の間でしばしば議題になることがある。それは、誰かの意見が絶対的に正しいことはあり得ないということ。私がそれを主張し、夫がそれに反論する。この間は「じゃあギャンブルをしたらいけないっていう私たちのルールも正しいとは限らないのか」と言われた。そのとき私はうまく答えられなくてモヤモヤしたのだけど、それに対する答えとしては、確かにそれもひとつの意見に過ぎないから絶対的に正しいとは限らない、しかし人は時と場合に応じて正しいと思われる選択をしなければならず、私たちの家庭では今のところそれが最善の選択ではないのか、ということだ。大事なことは、自分の意見が絶対的に正しいことはあり得ないのだということを知り、常に自分の意見を疑ってみて客観的に見る姿勢を持つことだろう。夫がそれを分かってくれるとよいのだが。