ちゃらんぽらん日記

日々のあれこれ

うれしさの理由

 彼と出会えて「話が通じる」という感覚を覚えて、心の奥底から湧き立つほどうれしかった。ふとなんであんなにうれしかったのだろうと考えていて、ずっと孤独だったからだなと思い当たった。彼と話したことというのは何かに対するなんとなくの感想などではなく、孤独に押しつぶされそうになりなってもがく中で、読んで見て聞いてきたことの積み重ねが私に与えてくれたものものだった。私がいまの考えや価値観になったのには一言では表せられない長くそして地道な学びの積み重ねがあってこそで、彼と話すことでそうしたことがやっと日の目を浴びたような気がした。学びは楽しいものだが苦しみも伴うもので、そうしたことぜんぶ含めて、そんなことことばにして伝えなくても「わかってるよ」とあなたはそのままでいいよと存在を認めてもらえた気がした。これからも私が孤独なのは変わらないだろう。その苦しみは自分が背負うしかない。でもこれからは、得た知見を感動を喜びを話せる人がいる。そしてその人はきっといっしょになってそれを喜んでくれる。そう思うと、心から幸せだなと思うわけです。

恋をするということ

 「愛は時間である」と言った人がいました。恋をすると、相手のことが頭から離れなくなります。何をしていてもずっと、頭の片隅にその人がいる。気づけばただその人のことを想っている。そうなってはじめて恋に落ちたのだと気づくわけです。

 私の恋ははじめから成就することのない恋でした。だからこそいろんなことを考えました。でも何度考えても結論は同じで、大事にしたいものもはっきりしていました。私の恋愛対象は男性で、私は男性としても彼が好きだけど、恋愛対象を超えて彼という人間が好きになっていました。彼が持つすべてを大切に思っていてこの先もそうでありたいと思ったし、彼にもそうしてほしいと思っていました。

 妻子のある人を好きになるということは、その奥さんや子どもさんの存在も含めて好きになるということです。奥さんを子どもさんを心から愛する彼のことが好きになりました。だから彼とどうこうなりたいとは思わなかった。刹那的な欲望を否定はしないけど、心から人として大切にしたいと思いました。

 それから私は子どもたちを大切にしたいと思いました。私の息子、彼の娘さん、彼らを傷つけるような言動はしたくないし、そういう関係にはなりたくない。

 だから、深みにはまる前に彼に思いを聞いてもらいました。彼ならきっと理解してくれると思ったからです。伝えてよかったです。

 愛するということはその人を取り巻くもろもろを含めてそのまま受けとめることだと思いました。私は今もこれからもずっとひとりの人間として彼を愛し続けると思います。

復職するにあたっての心構えについて

 昨年の8月中旬から私傷病で休業しています。今年の4月か5月には復帰予定です。私傷病で会社を休業するということは、社内での評価は地に落ちるというか、評価以前の問題で俎上にすら乗せられないと理解しています。その状態で評価されたいだとか認められたい気持ちを持ったまま復職すると必ず辛くなるでしょう。じゃあどうするのかというと、自分の中にモチベーションの基準を置くことしかないと私は思っています。自分の外にそれを求めないことです。自分の目標を立て、ひたむきにそれを達成していく、目の前に集中する、それが自分をしんどくさせない唯一の方法だといまの私は考えています。

私の方が可哀相だと主張することの不毛さについて

 人間関係で生じる気持ちはお互いにそれぞれ複雑なものを持っており、どちらがどうだとは誰にも言えないのだから、特に自分の主張を第三者に伝えるときは感情的にならず理性的に考えることが大事だなと思いました。

 元夫との関係において、私はより自分が傷ついたと思っています。だから第三者から私と元夫の気持ちや立場を平等に扱われることが理不尽で歯がゆく思ってきました。しかしそれは私の内部で処理する問題なのかなと今日思いました。と言うのは、私は元夫より傷ついたのだと主張することはおそらく私に何の利益ももたらさないからです。

 私は自分が傷ついたことを周りに認めてもらいたい気持ちがあるのだと思います。それほど傷ついたのだと私は思っています。でもそれは友人などごく親しい人が認め分かってくれたら十分ではないでしょうか。誰も元夫の気持ちを分かることはできません。況や私をやです。いくら私が自分の方がより傷ついたのだと主張しても誰にもそれがその通りだと言い切ることはできないのです。

 離婚を通して、私は自分が損得や利害関係を重視する人間なのだとはじめて自覚しました。新しい自分を発見した気分です。でも、自分の利益のために感情的になることをせず理性的になることを選ぶ、そういう自分が嫌いではありません。

歯科検診、フッ化物塗布

 2歳になったので2回目の歯科検診とフッ化物塗布に行って来ました。

毎回恒例、大変なのは待ち時間です

うちの自治体は市役所内に検診用大部屋があり、おもちゃや絵本が置いてあるキッズスペースがあります。着いてすぐに息子をそこに連れて行ったのが運の尽き、同じ年齢くらいの子どもがたくさんいる中で絵本を出す、出す、出す…。「ないない(お片付けのこと)」とは言うものの、しまわないで永遠に出す…。かと思うと絵本をそのままにして土足禁止のおもちゃスペースに土足で侵入しようとし、ほかの子が遊んでいるおもちゃに手を出す…。到着して30分で母はヘトヘトでした。

検診自体は結果良好

 虫歯もなく嚙み合わせも問題なし。検診のときに少し泣いたけど、フッ化物塗布ではなぜか美味しそうに吸っていて、お利口さんでした。検診を担当してくれたお医者さんが息子の指吸いを見て、「いまはやめさせなくていい。やめさせると隠れて吸うから。小学生になっても吸っていたら『みんなしてないよ』と『みんな』という言葉を使うと効果的。」と教えてくださりました。そんな教え方でいいのか若干疑問ですが、とりあえず当分は見守って良さそうです。

担当保健師との面談

 相変わらずの落ち着きのなさについて少し触れられましたが、私としては保育園の先生にその都度相談していて大丈夫だと言ってもらっているので、いまのところ発達の専門の方に相談へ行くつもりはありません。

 

 息子は歯みがきにとても興味を持っているので助かっています。検診の時間がちょうどお昼寝の時間帯だったので帰りの車内では夢の中でした。

charanporan42.hatenablog.com

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備忘録(アイデンティティについて)

 アイデンティティの複数性という視点を得た。私が持っていたアイデンティティは単一のものであるという認識を塗り替えたとても大事な視点だ。考えてみれば、アイデンティティは多様な側面から成り立っているというのは当然な気がする。単一と言えば単一だけど、多面的で重層的というか、多面体をイメージするとしっくりくる。私という人間はひとりだけど、状況に応じて表出する側面が異なるのは当然だ。アイデンティティは単一なものという考えに縛られると、非常に生きにくいように思う。私にとってとても大事な視点を得た。

うつ状態であることに気づくのに1週間かかった

 明日で2歳になる息子がインフルエンザだと診断されたのが2月2日。それから外出もろくにできず、熱などの症状はあるものの元気いっぱいな息子との密室育児が始まりました。

 2月6日。関節痛、下痢、咳、鼻水の症状で私も内科を受診。インフルエンザは陰性でしたが、次第に鼻詰まりがひどくなり、耳に違和感や痛みを覚えるようになりました。この日の夕方、精神的にも肉体的にも限界が来たなと思ったのを覚えています。

 2月6日からの2日間は母が来てくれ、日中息子の相手をしてくれました。育児の面では大変に助かったものの、私の体調は悪くなる一方で、熱も39度近く出ました。

 2月8日。ようやく息子が保育園へ登園。やっと自分のメンテナンスに集中できるかなと思っていた矢先、月のものがやってきました。私のたいていのパターンは、1週間ほど前からPMSが始まり精神的に不調が続き、生理が始まると精神的に安定するというものです。

 しかし今回は違いました。経血が多く体がなんとなくだるい。貧血気味でふらふらし、おなかもぐるぐるする。とにかく情緒不安定で些細なことで涙がぼろぼろ出る。まるで産後直後の数日間のようでした。

 そんなもろもろがあって、息子の看病が大変だったから少しストレスが出ているのだろう、体の状態は精神衛生面にも直結するからそのせいだろう、PMSが長引いているのだろう、こんな風に、ある意味合理的に考えて、一時のことだと思おうとしていました。

 でも、日々が経っても私の心が不安定なのは変わらなかった。慢性的に悲しくて、寂しくて、満たされない。したいことやしないといけないことができない。具体的には、洗濯や掃除といった普段なら簡単にこなせていたことができない、息子に食事を食べさせることも普段以上にものすごく労力がいる、銀行に振り込みにいくなど些細な用事を済ますことができない、ポストに届いた郵便物を開封できない、など、など。日常生活を構成する小さなことができなくて、いつの間にか何もできなくなっていました。

 実際には全く何もできないわけではないです。朝起きたらお湯を沸かすとか、服を着替えることはできる。でも、普段当たり前のようにこなすことができるいろんなものが本当にできないか、できても驚くほどの労力がいるのです。

 でも、私はまだいいんです。このことに自覚できたからです。鬱のただなかにいる人は自分が鬱だと気づきません。甘えてるからできない、できるのにやらないなまけものだと思っていて、自分を責め、さらに鬱のドツボにはまっていきます。

 双極性障害になって自分の障害と向き合っている私でさえ、1週間かかりました。あなたは大丈夫ですか?鬱である兆候はありませんか?すべて放り出して、休んでいいんですよ。

 最後に、私はどうしたか書きます。約1週間、鬱の状態が続くとどうなるか。想像したことがありますか。正常じゃないんです。正常なことができない。でも私がいちばん辛かったのはそこじゃなかった。鬱であるまさにそのこと自体が苦しかった。鬱のときって独特の感じがするんですね。脳が。なんだかもやもやして晴れることのないような。そこです。私は何度も経験していつか鬱が終わることをしっているのに、晴れることはないと思ってしまうんです。そして、晴れるのであればいつ晴れるの?あした?今日?いまは?鬱病患者は「いま」晴れてほしい。だから、出てくるんです。「死にたい」という言葉が。「死にたい」は「一刻も早くこの苦しさから解放されたい」と同義です。

 私はどうしたかですね。私は眠りました。推奨される方法じゃないでしょう。いつもより多くの睡眠薬を飲み、起きられないであろうことを想定して翌朝の息子の送迎は祖母に頼みました。私にできる唯一の自己防衛でした。死ぬ前にいったん眠ること。いまの私の最後の砦です。