恥ずかしかった
8月初めから取り組んできたことの最終プレゼンテーションをしてきました。昨日も「明日行くのやめようかな」って思ってたから、無事に乗り切ってよかった、がんばった、降りずにやり切った、という気持ちもある。でもその反面、恥ずかしかったなーって。
何が恥ずかしかったのか。私は自分のことばかりだからだ。他の人たちの発表は、地域や人のことを考えて組み立ててあったけど、私のプレゼンは、私は息子はばっかり。だから恥ずかしいなって思った。
でもそれをいいとか悪いとか判断するのはやめよう、と思う。感情にいいも悪いもないから。
いまの私がいっぱいいっぱいで他人のことを考える余裕のないのは事実。だからその状況を抜け出したいともがいているのも事実。いまの私の精一杯だった、と思う。
全部、事実を受け止めようと思う。
恥ずかしいと思うのは、成長したいという向上心の表れなのかもしれないし。
でも私だって、余裕をもって人のことを地域のことを考えてそのために生きたいって、思う。だから、そのためにはまず自分と同じような状況にいる人たちで力を合わせて状況を打開していくしかない、といまは思っている。
思いきり恥ずかしがって、思いきり悔しがって、でもやっぱり前を向こうと思う。
2才児が好きな絵本
以前、こういうのを書きました。
毎年恒例になりつつありますね。息子はまだ2才8ヶ月なんですけど、書きたくなったので書きます。
2才児が好きな絵本、王座は断トツで
- 作者: エリック=カール,もりひさし
- 出版社/メーカー: 偕成社
- 発売日: 2010/08/23
- メディア: ハードカバー
- 購入: 18人 クリック: 663回
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これです。もう大好き!歌を口ずさみながら読んでる。絵本が好き、ぬいぐるみが好き、タオルが好き、あおむしがのってるものならなんでも好き!
もう母は大喜び。去年こんな展開だれが予想したでしょう?あおむしのかわいいネックウォーマーを買い、「いや」と外されて涙をのんだのも遠い昔。冬がたのしみだー!!!
つづいて
- 作者: A.トルストイ,佐藤忠良,内田莉莎子
- 出版社/メーカー: 福音館書店
- 発売日: 1966/06/20
- メディア: 大型本
- 購入: 9人 クリック: 116回
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これですね!
かつて「おっちいぱぶ」としか言えなかった息子は「おっきいかぶ」と言えるようになりました。「な」はむつかしいみたい。どうやら保育所で劇を練習しているらしく、どうりで息子が読み上げる内容が、「おばあさん」「はーい!」とかになってると思った…。
第3位は
せなけいこさんのおばけー!!!
もじゃもじゃ、あーんあん、ふうせんねこ、にんじんなどせなけいこ作品は全般好きみたいなのですが、やっぱり『ねないこだれだ』は格別らしい。
だけど「おばけ」が言えなくて「おばてー!」となる息子、かわええのう。
2才になって以降、読む絵本のレパートリーが一気に広がった気がするのですが、その中から息子が特にお気に入りの精鋭をご紹介。
まり。これいいですよね。
息子、やたらおにぎり好きなんですよ。やっぱり身近なものが絵本に登場してくれるっていいですよね。親は大助かり!(そこ)
この辺の紹介が雑なのはですね、息子は大好きでも母は特に思い入れがないからですね。こんな絵本知らんかったもん!
これは好きですよ。まるさんかく「ぞう」ってなんや笑。ってくやしいけどちょっと笑っちゃいましたもん。
で、でたー!!!とよたかずひこ。
ももんちゃんシリーズで知ったのですが。何せ母は絵が好みでなく。でも息子がこれ大好きだから買ったんですよ。ある日とつぜん車の中で「しんぱいごむよ~う!」と息子が言い出しまして。まさかと思ってそのときはじめて中を読みました。おもしろかった!そんな展開ありかいな笑
わにわにも大好きです。私は詳しく見たことないけど絵は割と好み。
最近のお気に入りはこれですね。「こわ~い!」って言いながら見てる。笑
あとは0,1才児の頃からつづけて好きな絵本たち。
こぐまちゃんシリーズに。
松谷みよ子のシリーズ。
だるまさんシリーズも相変わらず好きだし、
五味太郎さんはやっぱりすごい!
ではこのへんで!!
日記
日曜日。前日23時過ぎまで起きていた息子はいつもより遅く起床。と言っても7時過ぎ。朝の散歩に出かけたのも束の間、すぐに抱っこをせがんだのでそのまま帰宅する。
8時台に実家に行くと、父の機嫌が悪いらしく、母がびくびくしている。まだ寝ている父親に過剰に気を遣い、私と息子が音を立てないようにと過敏になっている。そっか、私はこういう家庭で育ったから、自己肯定感が育ちにくかったのかもしれないと思った。母親が父親に怯えていると、子どもだって怯えるようになるんじゃないかな。過剰に気を遣って、いい子でいようとするんじゃないかな。私はそう思った。まあ昔のことだし、母の気持ちも分かるので、息子と早々に実家を後にする。
そのまま駅前施設へ。ここのキッズスペースは私も息子も大好き。自由にのびのびと大好きな絵本を次々と出しては楽しむ息子を横目に、私も育児書を読む。この本を今度読書会で読むのだ。
お腹が空いたので定食屋へ。なんと店休日。別の定食屋へ行ってみると、なんとキッズスペースがあって、息子も退屈しないし、私も安心して遊ばせることができてハッピーだった。料理の味は濃かったけど、また行こうかなと思う。
夕方には商店街にあるキッズスペースで高校の同級生と会う。里帰りして2人目を産んだばかりの友だちに、妊娠4ヶ月の友だち、2月に入籍して今月末に式を控えている友だち。息子が少しも昼寝せずにハイテンションだったので、私は息子から目が離せず、友だちとはゆっくり話せなかったけど、会えてよかった。解散して車に乗せて数分で、息子は寝る。
しばらくして息子が苦しそうに呻きだす。夕飯を食べていなかったのでお腹がすいたのだろうと、お茶を飲ませて簡単に食べられるものをとパンをあげる。食べていたら少し目が覚めてきたのか「おいしい」と笑顔を見せてくれた。食べ終わったらすぐにまた寝た。
月曜日。昨日会った里帰り中の友だちが上の子を連れて植物園に行くというので私たちも行く。少し早めに着くと、息子は昨日がとても楽しかったのか、お友だちの名前を連呼する。いっしょにすべり台で遊んだり、シーソーに乗ってみたり。
実家に行くが、昨日と同じ理由で早めに退散。ドライブして息子を寝かせ、少しお昼寝したあと昨日行った商店街のキッズスペースへ。昨日絵本を忘れて帰ったので取りに行ったのだ。息子は嬉しそうにそのままそこでしばらく遊ぶ。途中、以前駅前施設で会ったことのある1歳の女の子とお母さんが来る。お母さんがトイレに立つと、女の子はすごい勢いで泣き始め、お母さんが戻ってきても泣き止まず、お母さんは少し疲れた様子で家に帰っていった。
私たちも駅前施設へ移動。人が少なかったので息子は我が物顔で遊ぶ。私も家事本や育児本を手に取ってみたが、ピンとくるものがなかった。
焼肉が食べたいねとスーパーでお肉とお野菜を買って帰り、自宅で焼肉をする。おいしかったようで、息子も積極的におかわりしていた。
19時過ぎ、息子は眠くなったのか、寝転がっていた私の上に大人しく覆いかぶさってくる。テレビを消しておいでと言ったらお利口さんに消してきて、そのまま眠ってしまった。だけど布団に移そうとすると起きてしまうので、ぐっすり眠るまでしばらく抱っこしていた。
今朝は5時半に起き、朝の散歩をした。息子はノリノリで、歩きながらブンバボンを踊っていた。でも最後は抱っこ。帰宅してすぐに保育園へ。送り届けると少し寂しいようなホッとしたような心持ちになった。また日曜日にたくさん遊ぼうね。
許すことは許されること
人は子どもを育てることで育ち直すと言う。自分がいちばん愛された記憶の空白を、自分が子育てすることではじめて埋めることができるのだと。
私はこの世でいちばん愛しいぬくもりを感じながら、こんな風に愛されることのなかった元配偶者のことを思った。こんな風に愛する機会さえも奪われてしまった彼を思った。奪ったのは私だ。もしかしたら私が悪かったのかもしれないし、誰も悪くなかったのかもしれない。
彼を愛した数年間は彼に言葉が届かないことに絶望した数年間でもあった。そして私はいつしかその原因を彼の母親に求めるようになった。
母親は19歳のときに彼を産んだ。彼が生まれて間もなく、母親と父親は離婚した。母親は彼のことを「可愛いと思ったことなんてなかった。」と度々話した。
私は何度となく、幼かった彼の心を想像し、心を痛めた。彼にそんな思いをさせた母親を何度となく憎んだ。ドアの外に締め出されて、泣き声さえも聞き届けてもらえなかった彼の心はどんな絶望を味わったのだろう。それを思うと、憎しみしか浮かばなかった。
ふと、この子が彼で、私が母親だったなら、と考えた。もしもこの子にまったく愛情を感じられなかったなら。
頬に、冷たいものを感じた。できることなら、幼かった彼と、彼を愛せなかった母親と、ふたりを優しく抱きしめてあげたい、と思った。
きっと、誰も悪くなかった。ただみんな、愛されたい子どもだったのだ。
日記
遅れに遅れていた月のものがようやくやって来て、眠くて仕方のない朝です。外はとってもいい天気。きれいな秋晴れやな~と思いながら洗濯物を干しました。毛布とこたつ布団も干したので、布物にくるまってぬくぬくするのがいまから楽しみです。
昨日、子育て支援施設の主任先生とお話してきました。いろいろ、お話したのですが、その中で、私が「息子と二人で川に行くのはちょっと怖くて」と話したときのこと。主任先生は三つ子ちゃん(全員男)を育て上げたお母さんなのですが、三つ子ちゃんが保育園に通っていた頃、ある日の帰り道に三つ子ちゃんがどうしても川に行きたいと言い出したとのこと。主任先生は仕事帰りで疲れていただろうに、そして夕方でもう水は冷たいのに、4人で川に行ったと。そしたら小さな川魚がたくさん三つ子ちゃんの周りに集まってきて、三つ子ちゃんは大喜び。3日続けて川に通ったそうです。
主任先生は一人で三つ子ちゃんを川に連れて行って、三人三様の動きをするので、きっと見きれなかったと思います。だけど、連れて行った。そっか~、私は息子と二人で川に行くのが「怖い」のではなく、自分が「疲れるから嫌」だっただけなのだと気づきました。それを「怖い」という言い訳でごまかしてたんだな、と。
さすがにもう川は寒いと思いますが、日曜日に息子を市内のプール施設(温水)に連れて行こうかなと思いました。息子と楽しいこと、たくさんしたいな~
気がついたら
きっかけも思い出せないのだけど、息子を寝かしつけながら気がついたら泣いていた。私が泣いていることに気づいた息子は私の頭をなでて、なんと「ごめんね」と。息子にそんな言葉を言わせた罪悪感と、そんなことが言えるようになったのか大きくなったなと思ったらさらに泣けた。
急にいろんなことが思い出された。息子が1~2ヶ月の頃、夜中に泣いて起きた息子をただただ抱っこしたこと、おむつを替えてミルクをあげて、その傍らにはまだ父親がいたこと。家事と育児はまめにやる父親で感謝していたこと。
はじめて父親に言葉が通じないと絶望したのは夜の公園だった。そのとき私のお腹にはすでに息子がいた。それから彼の前で涙が出なくなった。
去年のお正月。父親と喧嘩して家を飛び出した。夜明けのジョイフルで、離婚するか覚悟を決めて彼と歩むか悩んだ。結論は後者だった。
秋。別居前、入院している私を息子と父親がお見舞いに来てくれた。そのとき息子はまだよちよち歩きだった。緑の襟がついた黒と白のしましまの服を息子は着ていた。彼らが帰ったあと、お財布からお札が消えていた。泣きわめいて絶望した。別居すると決めた。
無理矢理退院して、預け先に息子を迎えに行き、その足でそのまま家を出た。ああ、気づいたらあれから一年以上が経っていたのだ。
息子は大きくなった。泣く私を息子は心配している。2歳7ヶ月の知恵を総動員して私の気をそらそうと思いつく限りの言葉を発している。このままではいけない、と涙をぬぐい、不安で眠いのに眠れない息子を抱いて、車に乗ってドライブしてきた。
去年の日記を開いたら、一年前の今日は息子が退院した日だった。RSに感染し県立病院に入院した息子を付きっきりで看病した。代わりがいなくて、母子で生きることはこういうことだと覚悟した。
息子を抱きながら、私たちはきっとこの先もずっと二人で生きていくのだと思った。父親と人生が交わることは二度とないし、おそらく代わりの父親ができることもないだろう。なぜならこの私たち二人の歩んできた道は私と息子にしか共有できない、分からないものだからだ。
小さい宝物よ、生まれてきてくれてありがとう。母の側にいっしょに生きてくれてありがとう。
たくさん楽しいことをして笑って生きようぜ、二人家族で最高に楽しい思い出を作ろう、あなたがあなたを愛せるように、母は全力を尽くして生きよう。
人が好きだけど一人も好き
この2週間ほど、予定がぎっしりで、人に会ってばかりの忙しい毎日でした。それはとても充実したものでした。だけど、今夜は一人で静かに過ごしたい気分で、本のある空間を特集した本を開いたり、文章を書いたりしています。本を読んだり文章を書いたりすることは私にとって、私が私でいるために大切な時間なのだと思います。
思いつくままにつらつらと書きます。息子と川に行きました。息子は一人で川を歩くのは怖いようで、ずっと私にくっついていました。川にあおむけにねそべる私の上に乗って水をバシャバシャと弾くのが楽しくてたまらないようでした。体力的にはとてもきつかったけど、こんなに楽しそうな息子の表情やしぐさ、全身で喜びを表現する様子、目に焼き付けるように見つめました。美しい、幸せだ、と思いました。息子を育てるのはとても大変だけど、いまの息子といっしょにいろんなことを体験したい。たくさんの時間を過ごしたい。
ほかにもいろいろ書きたいことはあったけれど、今日はこのへんで。尻切れトンボみたいだけど。