ちゃらんぽらん日記

日々のあれこれ

読書

 ここ2年ほど、これまでの人生にないペースでたくさんの本を読んできた。しかし、それが自分の骨肉になっている感覚がまったくと言っていいほどなかった。それが嫌で、「考える」勉強がしたいと、先生にお願いをした。それから5ヶ月あまりが経つが、事態はあまり変わっていない。今日、一冊の本を読み終えたあと、湯船に浸かりながら考えていて、その大きな原因がひとつ分かった。

 それは、私の読書の仕方にある。一冊の本を読むとき、たしかに私は一生懸命読む。線を引きながら、あるいはノートを取りながら。なのになぜだろう、まとめる力がないからか。たしかにそれもあるだろう。しかし一番大きな原因は、読書の後もしくは読書をしていない時間の使い方にある、と今日気づいた。

 今まで私は、一冊読み終えると、付箋を貼ったところや傍線を引いたところを見返して、本の内容をまとめる、で満足していた。しかし、それでは当然ながら、考え咀嚼するための時間がまったく取れていない。今まで読んだ中で、比較的内容を覚えているものを読んだときのことを思い出すと、散歩中に、あるいは風呂の中で、その本の内容を反芻したり、その本から何かを考えたりしている。つまり、本の内容をまとめるだけではまったく不十分で、それをどの程度、何も見ずに自分の言葉で説明でき、そこから何を考えるのか、それが重要だ。そして、それには、そのための時間を、作らなければならない。

 これが、『思考の整理学』で外山滋比古先生が書かれていたことだ、と思い当たった。馬上、枕上、厠上、工夫して、考える時間を取らねばならない。気づくのが、あまりにも遅かったように思うが、これを機に、一冊の重みも変わるはずである。

 

 

思考の整理学 (ちくま文庫)

思考の整理学 (ちくま文庫)