ちゃらんぽらん日記

日々のあれこれ

恋愛

 恋愛を通して知ったことのひとつに、人は他人には言語で説明できないことをすることもあり、それは悪いことではない、ということがある。他人に言語で説明できないことをすることは、はじめての自分に出会うということでもある。

 はじめての恋愛をした思春期の頃、はじめての自分に出会いっぱなしで、とまどいの連続だった。それはなんとなくもやもやした、罪悪感を伴うものでもあった。人を好きになるという理由ひとつをとっても、明確にことばにできる人などいやしない。しかし、人に説明できないことをするのはどこか後ろめたく、私は常に後ろ暗い思いを併せ持った、根の暗い少女だった。冒頭で私は「恋愛を通して知った」と書いた。しかしそれは、今振り返ればそのように意味づけできるというだけのことで、当時はもやもやをどこかに抱えたまま居心地の悪い思いをしていた。

 振り返れば、後ろめたさと共に成長してきたことに気づく。しかしいつの間にかそれは消えていき、いつの間にか大人になっていた。それは、二度と戻ることのない青春の日々から少しずつ卒業しはじめたことを意味するのだろう。人は新たな時点に差し掛かる。かつて自分が通ってきた道を今まさに通っている人を目撃するという新たな現実だ。これはまた、居心地のよいものではない。私にはそれがなぜなのか説明することができない。年を重ねるということは、新たな自分に出会う連続なのだろうか。居心地の悪さから抜け出せずに、向き合い消化することができずに、もやもやとする、その繰り返しなのだろうか。

 しかし少女の頃とは違うことがひとつある。少し時間が経ってみれば、これに意味づけができることを知っていることだ。どんな意味づけができるのだろうか?その答えはまだ分からないが、少しずつ少しずつ、ゆっくりゆっくりと生活をしながら思考をしていくことだろう。