ちゃらんぽらん日記

日々のあれこれ

ちゃらんぽらん日記は私の癒し

 あっという間にひと月が過ぎていました。2月頃からまいてきた種が少しずつ芽吹きはじめたような気がします。その面ではとてもたのしくおもしろい、また一方で慢性的に不調だというアンバランスな日々を送っています。少し疲れがたまっていて、それを完全には解消しきれないまま日々を過ごしてしまっているということなのかもしれません。

 文章書きになる人は、もともと文章を自由に書くのが好きな人が多いと思う。でも職業としての文章書きを目指してしまうと、そこにはいろんな制約が出てきてしまう。その制約の中で、求められることに応える、というのがプロの文章書きだとは思うが、もともと自由に書くのが好きなのだから、ときたま心の赴くままに、どこに気を遣うこともなく、損得を勘定に入れずにただつらつらと書きたくなるときがある。あって然るべきだとも思う。ここは私にとってそういう場所となりつつある。文章書きを夢見つつそんなに文章を書いた経験もなかった私が好きに書いてきた自由な聖域とでも言ってみようか。

 夢が叶いそうなとき、その人は情熱のただなかで興奮にもまれている。一方で悩みも深い。夢が叶うとき、おそらく選択肢はたったひとつではない。チャンスは多方面からやってくる。どの道を選ぶのか、どの道を選ぶのが自分らしいのか、どの道を選ぶのがワクワクするのか、どの道が生きやすいのか。自問自答し悩むことは決して楽なことではない。ありがたいことだとは思う。こんな状況になることをかつて想像していただろうか。いや、想像し期待していたからこそここまで走ってこられたのかもしれないが。

 夢が叶うことは精神的に満ち足りることと必ずしも同意ではない。夢が叶うと家族を大事にし周りの人に感謝できるのか?そうありたいと思う一方で、結局はエゴに満ちた自分に気づいたりもする。私はほんとうには何を望んでいたんだっけ。人生はこの問いのくり返しだ。心の奥の奥底で私が、私自身が何を望んでいるのか。何かの渦に絡め取られずにただシンプルにそれを無視せず生きたいと思う。そう思えば答えは出ているはずなのに、選べないのはなぜだろうか。実現可能性、ということにそんなに早くこだわるべきではないのかもしれない。

 愛する家族と、自分たちでつくったものを食べ、自分たちがつくったものを使って穏やかに日々を過ごす。豊かに余った時間でほんとうにやりたいことをやる。その穏やかで満ち足りた時間こそが、私の理想なのだ。それは明確にはっきりとわかっているのだ。