ちゃらんぽらん日記

日々のあれこれ

気がついたら

きっかけも思い出せないのだけど、息子を寝かしつけながら気がついたら泣いていた。私が泣いていることに気づいた息子は私の頭をなでて、なんと「ごめんね」と。息子にそんな言葉を言わせた罪悪感と、そんなことが言えるようになったのか大きくなったなと思ったらさらに泣けた。

急にいろんなことが思い出された。息子が1~2ヶ月の頃、夜中に泣いて起きた息子をただただ抱っこしたこと、おむつを替えてミルクをあげて、その傍らにはまだ父親がいたこと。家事と育児はまめにやる父親で感謝していたこと。

はじめて父親に言葉が通じないと絶望したのは夜の公園だった。そのとき私のお腹にはすでに息子がいた。それから彼の前で涙が出なくなった。

去年のお正月。父親と喧嘩して家を飛び出した。夜明けのジョイフルで、離婚するか覚悟を決めて彼と歩むか悩んだ。結論は後者だった。

秋。別居前、入院している私を息子と父親がお見舞いに来てくれた。そのとき息子はまだよちよち歩きだった。緑の襟がついた黒と白のしましまの服を息子は着ていた。彼らが帰ったあと、お財布からお札が消えていた。泣きわめいて絶望した。別居すると決めた。

無理矢理退院して、預け先に息子を迎えに行き、その足でそのまま家を出た。ああ、気づいたらあれから一年以上が経っていたのだ。

息子は大きくなった。泣く私を息子は心配している。2歳7ヶ月の知恵を総動員して私の気をそらそうと思いつく限りの言葉を発している。このままではいけない、と涙をぬぐい、不安で眠いのに眠れない息子を抱いて、車に乗ってドライブしてきた。

去年の日記を開いたら、一年前の今日は息子が退院した日だった。RSに感染し県立病院に入院した息子を付きっきりで看病した。代わりがいなくて、母子で生きることはこういうことだと覚悟した。

息子を抱きながら、私たちはきっとこの先もずっと二人で生きていくのだと思った。父親と人生が交わることは二度とないし、おそらく代わりの父親ができることもないだろう。なぜならこの私たち二人の歩んできた道は私と息子にしか共有できない、分からないものだからだ。

小さい宝物よ、生まれてきてくれてありがとう。母の側にいっしょに生きてくれてありがとう。

たくさん楽しいことをして笑って生きようぜ、二人家族で最高に楽しい思い出を作ろう、あなたがあなたを愛せるように、母は全力を尽くして生きよう。