ちゃらんぽらん日記

日々のあれこれ

少し回復した日は

冬になった。いつも早起きの私たちが朝寝坊をするようになった。早くても7時を過ぎないと目覚めない。遅いと9時過ぎることもある。だいたい8時過ぎに起きることが多い。

自然なことだ、と思う。太陽が出る時間が遅くなったのだから、少し遅めに起きても支障のない日常であればそれで構わない。遅く起きられる環境をありがたいと思う。

今朝も遅かった。8時ごろに起きて、自宅でとる朝ご飯はコーンスープで済ませた。

息子の目やにがひどいので病院へ連れて行く。途中でパン屋に寄り、息子はアンパンマンのパン(小倉あんパン)、私はたこ焼きパンとくるみカレーパンを買う。私は二つ、大人の特権。

耳鼻科で受付をしたところで、目やになのに耳鼻科に来てしまったことに気づく。まあいいか、息子は黄色い鼻水が出ているし、私もちょうど鼻づまりに悩まされているので一緒にみてもらおう。

ここの先生はいい。医者は接客業だ、と自覚している感じがいい。子どもの扱いに慣れているし、子どもに対しても大人に対しても、愛情というものを感じる。

息子は鼻と耳をみてもらい、耳掃除をして終わり。通常は抗生剤を使わないで治すけど、年末だから抗生剤使って安心しちゃおう、と言って処方してくれた。

私は喉が赤くなっているのだとか。症状から、いつもの副鼻腔炎になりかけているのでしょう、といつもの抗生剤とアレルギーのお薬を出してもらう。

薬局に行って椅子に腰かけたらどっと疲れが出た。この後眼科に行こうと思っていたけど無理だな、とぼんやり思う。

薬局を出て、ほんとだったらそのまま保育所へ送り届けるところだけど、何せ今日の私は目やにで耳鼻科にかかってしまうくらいの判断力の低さ。通所バッグの準備もせずに出てきてしまっていた。それに加えて疲れている。

帰宅して通所バッグを準備して送り届ければ良さそうなもんだけど、なんだか億劫でできなかった。

たぶん、私は息子と一緒にいたかったんだと思う。一緒にいたら疲れるかもしれないけど、愛しくてたまらず。一緒の時間を過ごしたかった。

そこで、息子を連れて実家に行った。けれども結局母を煩わしく思って帰宅した。

眼科には行ったのかとか、行くのかとか、保育所には預けないのかとか、矢継ぎ早に聞かれたのがなんかすごく嫌だった。

母にとって私はいつまでも娘。意思や考えを持って決断し動いている一人の人間というより、一人では十分でないところがある子どもに過ぎない。それが最近とても嫌なのだ。

息子と一緒にいたいんだ、とひと言私が伝えさえすればよかったのかもしれない。私自身がそれをあいまいにしか感じられていなかったし、いちいち説明するのが面倒だった。あなたが決めたのならそれを尊重するわ、という姿勢を親に持ってもらいたいと思うのは贅沢な望みなのだろうか。

帰宅して溜まっていた家事をする。洗濯機を2回まわして干す。食器を洗って片付ける。

昨日眠れずに起き出して作ったカレーを温めて昼ごはんにする。案の定息子はおかわりする。カレーが大好きなのだ。

昼前になってやっと保育所に電話をかける。連絡が遅くなってすみません、こうこうこういう理由で眼科にはまだ行けていません、今日はお休みします、と。

電話をかけたことで気持ちの整理がついた。今日はずっと息子と一緒に過ごそう、と思う。

なのに。私は実家に行きたかったみたい。コンビニでスイーツを買って実家に行く。

母が不在にしていたので、息子とスイーツを食べながら待つ。母が帰宅し、二階で仕事をしていた父も降りてくる。

父は70才。インターネットのことがよく分かっていない。だからしょっちゅう私に聞いてくる。その上分からないくせに余計な考えをはたらかせて、インターネットや経済の仕組み、ひいては資本主義がどうたらと言い出す。もう嫌になる。

メルカリにログインしようとしたら私のGoogleアカウントが出てくるだの前と同じことを言っている。それは別のアカウントでログインすればいいだけだから、と言っても分からないし、説明したって理解することがないことは分かっているので黙ってしまう。

世の中にまったくついていけていない父。世の中に対してものすごく斜に構えていて、私から見ると、それはことごとく観点がずれている。でももうどこから突っ込んで説明したらよいのかも分からないくらい、彼の中では論理が飛躍している。そんなに世の中は単純じゃないのに。そして父が思っているほどみんな悪い人ばかりではないのに。

父は一旦仕事場に戻ったものの、また降りてくる。曰く、なんで息子を保育所に預けないのかと。私が疲れてまた迷惑かけるだろうが、と言う。

私は頭にきてしまう。迷惑ってなんだ、私の息子はあなたの孫でしょう、と言うと、孫じゃない、と返されてしまう。完全に頭にきた。

人間のクズ、最低、何が作品だ何が文学だ、あなたは人間として未熟すぎる、それと向き合わずにそんなこと言ったって何になるか、と酷い言葉をぶつけてしまった。

でも本音なの。父さん、私はずいぶん前から知っているよ。人間的な成熟なくしては、あなたの作品が変わらないということを。目の前の人を、母を、私を、息子を思いやれなければ、世の中を批評しようと文学を読もうと、すべて机上の空論に過ぎないし、それでは人の心は動かせないということを。

私は悲しくなってしまう。なぜ父がそうなのかも分かっているから。父は愛情を欲している。認められたいと思っている。心の底にとてつもなく巨大な劣等感が巣食っている。それを救えるのは愛しかない。だけど、唯一いま彼にそれを与えうる配偶者である母は、彼に疲れきっている。

目の前の人を大切にすることなしに、はじまるものはないのではないだろうか。

父の絵は美しい。絵を見れば、彼の心が誰より優しく純粋なのか、分かりきるほど分かってしまう。それでも十分なのだけど、父は芸術家として、死ぬまでにもう一段階上の作品を残したいと切に願っている。

だったら、やっぱり人間的に成熟することだよ、と娘の私は思っている。

 

息子とイオンに行った。綿100%の下着と寝間着を買って、カルディでチーズの詰め合わせとニョッキを買った。本屋さんにも行った。息子が絵本を見たいというので駅前施設を目指したが、到着する寸前で息子は眠ってしまった。

帰宅して目を覚ました息子は絵本が見たかった、とごねた。二人でチーズを食べた。こたつに入ってコーンスープを飲みながら。

夜ご飯はカレーうどんにした。とても幸せな一日だった。

 

私の家族は息子一人。いまはそう思っている。