ちゃらんぽらん日記

日々のあれこれ

なんとかなるなる

また恩をつくってしまった。私はもう少しで人でなしになるところだった。息子を手放そうと思ってしまった。そのくらい追い詰められていた。

 

年末に、両親と大きな衝突をした。なんにも分かってくれてなかったんだ、と思うのに少し遅れて、なんにも分かってなかったんだ私も、と思った。

母から言われた「あんたの今の仕事は息子を育てることなんだから、夕方疲れないように工夫しなさい」も、「息子の父親に定期的に会わせたらどうね」も、私にとっては徒労でしかなかった。

疲れないように工夫するにはどうしても祖父母の助けが必要だということも、定期的に会わせて私が体を休められるほどの関係を父親と築けていたのならこんな風になっていないことも、両親は全く分かってなかったんだ、と思った。

父から投げつけられた「お前はいつも絶交だと言って、そのくせ平気な顔で頼ってくる」も、「孫の面倒を見るのは義務じゃない」も、「そんなんだからお前は誰とも人間関係を築けないんだ」も、私にとっては暴力でしかなかった。

からしたらずっと歩み寄ってきたつもりだった。孫と接することで父の心が溶けるといいとさえ思っていた。そんなことは思い上がりだった。

私は誰とも人間関係を築けない、と自分では思わない。信頼し合っている友人知人が一人や二人ではないことは私自身が良く知っている。だから父のその一言が私の尊厳を傷つけることはない。しかし、父がそんな風に今でも私を傷つけようとすることを厭わない、ということに深く傷ついてしまった。

それから3週間ほど経つ今は、もう少し別の見方ができるのだけど。おそらく、父が私にぶつけた言葉は、父自身が言われて傷ついてきた言葉ではないだろうか。もしくは父自身が自分に向けて自分で傷ついてきた言葉だったのではないだろうか、と。

 

夏から距離を置いていた友人と年明けに会うことになった。もともとその子との共通の友人と二人で会う予定だったのだが、その子を誘うことになり、わざわざ説明して断るほどのことでもない、と3人で会ったのだった。

結果的に、再び距離を置いている。おそらくもう二度と、距離が縮まることはないと私は思っている。

詳細は省くけれど、私は母親になったし、その視点でさまざまなことを見るようになってしまった。

 

息子の父親がギャンブル依存症であることをはじめて認め、治療をしたいと言い出した。正直、私はもう彼に対して愛情はない。ただ、彼が更生しなければ、息子が傷つくことが目に見えていること、長い目でみたときに経済的に私にも影響があるという2点から、彼に治療をしてもらいたいと思っている。

しかし、その対応にほとほと疲れてしまった。治療をしたいという本音と逃げたいという欲求の間で揺れ動く彼を、突き放しつつ治療に導くのには、正直相当神経を使った。その裏で、関係機関と連絡を取り、時には役所などに足を運んだ。

その間には、もちろんフラッシュバックもあった。おそらく多くのギャンブル依存症の家族は深く傷ついているのだと思う。もちろん私も例に漏れず。

 

体と心が悲鳴を上げ始めた。最初は体が言うことをきかなくなった。肩が凝る、体が鉛のように重い。鬱になってしまったかと思ったが、食欲はある。そのうち吐き気もし始めた。

だけどそれでも活動を続けた。動いている間は動けてしまうのだ。一旦立ち止まると、長い間動けなくなる。

当然のように子育てに支障をきたした。

 

そういうわけで冒頭に戻る。息子を引き取りに行く車の中で、子を捨ててしまった人と私とは紙一重だ、と考えた。たぶんそれは愛情のあるなしではない。子育てから、子から逃げようと行動してしまったときに、でもやっぱりこれではいけないと誰かに連絡を取ったときに、その人が愛情で包んでくれた。その人は許す、というそぶりすら見せなかった。ごめんなさいと謝る私に、何が?ととぼけた。そして、きつかったんでしょう、少しは休めた?と気遣った。頭が上がらない。この人は本当の救世主だ、と思った。生ける女神だ。

 

私は子を手放さずに済んだ。大きな恩をもらった。

私にできるのは、なんとかなると楽観視して日々を生きることだ。