ちゃらんぽらん日記

日々のあれこれ

雑感

 前回の更新から本当に色々なことがあった。大分への旅行、そこで出会った1冊の本、とある求人との出会い、転職を画策した(ている)こと、夫との度重なる話し合い、両親を交えての話し合い…。

 この2週間ほどで本当に色々なことがあって、色々なことを調べて、考えて、話し合ってきた。無我夢中で。でも今日、憑き物が落ちたかな、と思う。

 私の根幹にあるのは、現状への不満、本やその他の価値観について語り合える人のいない、分かり合える人のいない寂しさだ。それが解消されるのであれば、取るべき手段はひとつではないのかもしれない。

 今回のことに、夫は逃げずに向き合ってくれた。幾度も話し合い、喧嘩だってしながら、それでも見捨てず、私の夢を応援すると、ぶれずに言い続けてくれた。そして今日は、今の仕事を辞めてアルバイトをしながら好きなことをしてもいいとすら言ってくれた。

 私が大事にしたいのは、私の夢であり願望ももちろんだが、夫と息子のComfort zoneであること、彼らと日々幸せに生きていくことだ。それがあっての、夢であり願望だ。それを改めて実感した。

 自分の進むべき道についてはまだ熟考が必要だが、彼らのいない未来だけは考えられないこと、それだけははっきりした。

目標

  入社して4年目になるが、自分が10年後どんな社員になっていたいかという目標がようやくできた。私は今まで総務・経理・人事・勤労業務の補佐を行ってきたが、今後は人事・勤労業務を主に行うことになった。何でもそうだが、仕事を行うにはその土台となる幅広い知識が必要となる。会社の人事規程を深く理解することを始めとし、法的な知識も必要であるし、勉強するべきことは山積みだ。日々の業務をこなしながら知識をつけていきたいし、いつかは社会保険労務士の資格を取りたい。人事・勤労業務のスペシャリストを目指したい。2027年。私40歳、夫42歳、息子11歳。どんな未来が待っているだろうか。楽しみだ。

つぶやき

土曜日に子どもを保育園に預けたり、病児保育を利用したりすると、子どもが可哀想だと言われることがあるのだけど、そうなのかしら。そう思う人が大勢いたとしても、一概にはそうは言えないと私は思うし、私個人としてはそういうのにいちいち構っていられないな。色んな制度を利用しながら、多くの人に助けてもらいながら、大事な可愛い息子を一生懸命育てているつもり。だから胸を張っていていいのだろうけど、子どもが可哀想だと言ってくる人たちは良かれと思って言ってくることが多いので、ありがた迷惑で余計なお世話な善意に戸惑って少し困った風な曖昧な笑みを浮かべてしまうのです。

宮本輝『錦繍』を読んで

 久しぶりに小説を読んだ。会社の幹部が学生の頃に卒論のテーマとして選んだ小説だと紹介してくれたものが、たまたま本棚にあったのでこの3連休で読んでみた。以下、感想を書く。

 読み終えて『錦繍』というタイトルから感じるものは、冒頭の蔵王の、また終盤の料亭の庭の紅葉の、赤の緑の黄の、そして星空の美しさ。その下で複雑に入り組みながら綾なす男と女の人生。

 それは哀しみを孕み、苦しみに満ちたもので、読中はうす汚れているとさえ感じさせるものだが、読後は清々しい。それは、有馬靖明と星島亜紀が互いに文を交わすことで<過去>を受け入れ、<いま>と真摯に向き合う覚悟を決めたからだろう。

 亜紀の不具の息子、四つ指の令子の祖母、そして精神的不具だったと言える靖明と亜紀。

不具なら不具のままに、出来うる限り正常な人に近づけるよう、何が何でも<いま>を懸命に真摯に生きるしかない

 これは亜紀の書いた言葉だ。それは不具への否定ではなく不具としての努力しながら生きる生き方への肯定だろう。

 この作品は、苦悩に満ちながらも<いま>を生きようとする者への壮大なエールだと私は受け取った。

錦繍 (新潮文庫)

錦繍 (新潮文庫)

 

 

 

【補足】

尚、上記について私は概ね肯定的に受け取ったが、それは一方で私の身近な問題を想起させ、今後のテーマとしてあぶりださせた。私には重度の知的障害者である姉がいるのだが、私の両親が語ったひとつのエピソードを思い出したのだ。姉が小学生の頃、姉に文字を懸命に教え込もうとする教師に向かって私の両親は「そんなことをして何になるのか」と問うたと言う。その発言に対して私の考えはまだまとまっていない。障害者でも納税者になり、政治的な発言権を持つべきだという考えを私が知ってから数年になるが、では知的障害者に関してはどうなのか、その辺の勉強がまったくできていないことが明らかになった。今後も継続して勉強していきたい。

保険の話

 今回、火災保険の見直しに伴い、生命保険とがん保険にも入ることにした。その際に参考にした本やホームページについてまとめておく。

 

1.どの保険に優先的に加入するか

 保険を考えるときに、自分が何に備えたいのか明確にし、優先順位をつけることが重要だ。私が当初考えていたのは、生命保険、ケガの保険、医療保険、個人賠償責任保険の4つだった。結論としては、生命保険、がん保険、そして個人賠償責任保険は火災保険で1億円まで保障されるものに加入した。

 保険はそれぞれの個人や家庭の状況に応じて入るもので、必ずしも友人が入っているから自分も入った方がよいというものではない。しかし保険を検討し始めた当初の私も含めたいていの人は、自分がどういう保険に加入すべきなのかを適切に知らないものだ。そこで私が参考にしたのが下記のサイトだ。

hoken-kyokasho.com

 このサイトには、どういう人にどの保険が必要なのかということをはじめ、公的保障についても言及しつつ必要最小限の保険に加入しようということが書いてある。不安に駆られて保険の加入を検討し始めた人の頭を一度冷静にして考えさせてくれるという効能を持っている。

 私はこのサイトを参考にし、夫婦共働きで子どもが小さいので一番には生命保険に、次にはケガや病気にも備えたいけれどそれらは貯金でまかなえなくもないので、それよりももしもの場合に大きな出費になりそうながん保険に加入することにした。これに関しては、下記の本も参考になった。

生命保険の「罠」 (講談社+α新書)

生命保険の「罠」 (講談社+α新書)

 

  この本によると、保険には貯金が間に合わない順すなわち日常的には準備できない金額が必要となる順に入ったら良い。また、保険とは不測の事態に備えるものである。たとえば学資保険や子供保険といったものは資金需要が発生する時期が見えているため、保険以外の手立てがあるので、加入する必要はない。これは保障と貯蓄は分けて考えたほうが良いという話にも繋がる。複数の本で一致していたことだが、今の時代、利率が非常に低いので、保険で貯金するメリットはないのだ。

 

生命保険のカラクリ (文春新書)

生命保険のカラクリ (文春新書)

 

  ほかに複数の本で一致していたことは、貯蓄こそが最大の備えとなるため、保険に加入するだけでなく堅実に貯蓄することが必要だということだ。私の家庭では教育資金と旅行資金、その他資金を積立貯金や財形貯金を用いて貯めている。

 

 2.生命保険について

 今回、ほけんの窓口を利用して検討を行ったのだが、はじめに提示された商品は死亡保障としても使え貯蓄性もあるものだった。当初私は保険について無知に近かったため、貯蓄性があるという点に大いに惹かれてしまった。そういう人は多いだろう。しかし、私が読んだどの本でも共通していたのは、生命保険は掛け捨ての定期保険で十分だということだ。まず多くの人が誤解していることだが、保険というのは先ほども書いたように日常的には準備できない金額が発生する不足の事態に備えるものだ。そして次に生命保険というのは万人に必要なものではないし、ひとりの同じ人でも人生の段階によって必要なときとそうでないときがある。たとえば私の場合、息子が独立するまでは夫婦のどちらかが死んでしまったら大いに困るが、息子の独立後はお互いに働いているためどちらかが死んでしまっても自分の食い扶持は稼いで生きていくことができる。ということは私の場合、息子が独立するまでの20年間のみ死亡保障があれば良い。すなわち、終身保険は必要ないということだ。(私は20年間の保障が充実しているという基準で商品を選び、20年間何もなければ加入した保険を解約することに決めている。)掛け捨ての定期保険にすれば、保険料もかなりやすく抑えることができる
生命保険のウラ側 (朝日新書)

生命保険のウラ側 (朝日新書)

 

  この本にはそのことが保険の「利用価値倍率」というものを用いて分かりやすく解説してあったので気になる方はご一読を。

 最後に、生命保険を考えるときに必要補償額が大事になってくるのだが、それについては別記事に書きたい。

 

3.がん保険について

 もともとケガの保険や医療保険を検討していたのだが、ネットで調べたり本を読んだりしているうちにケガや病気に備えるよりもがんに備える方が優先度が高いと思うようになった。それはケガや病気よりもがんの方が日常的には準備できない金額が必要となると考えられるからだ。

hoken-kyokasho.com

 これを参考に、下記のことに注意して商品を選んだ。

  1. 診断給付金(一時金)を中心に選ぶ。保障額としては50万~100万円。できれば上皮内新生物に対しても備えられ、給付条件に入院が入らず、2年以内に複数回支払われるもの。
  2. 次に優先するものとしては抗がん剤治療給付金(月額10万円)、放射線治療給付金(月額10万円)。
  3. できれば先進医療給付金をつける。

  まず1に関しては、すべての条件を満たすものはなかなかなく、結果としては給付条件に入院が含まれるものになってしまった。保障額は100万円、上皮内新生物にも備えられ、2年経過後に入院していれば複数回支払われるものを選んだ。2、3は満たし、また、がんになった時には以降の保険料の支払が免除される特約をつけた(無料)。

 契約はほけんの窓口を介して行ったが、自分で主体的に調べて条件を決めていけば、利用する価値のあるところだと感じた。

 

 以上が今回の保険選びで学んだことだ。数年後の自分がどうしてこの保険に入ったんだっけと思ったときのために書いたが、読んでくださった方にとって少しでも参考になったらうれしい。

 

夫と息子には理不尽な経験をしてほしいねと話したことについて

1.夫の体験について

 昨夜夫が突然、「理不尽な経験って大事だよね」と言い出した。夫は中学から大学まで陸上をしていたのだが、そのための寮生活で散々理不尽な経験をしたらしい。私も運動部を少し経験しているので特に先輩後輩関係の理不尽さは想像がつく。夫はその中で仲間の大切さを学んだと言う。

 人は理不尽な経験をすると現状を変えたいと思う。しかし夫はそのために自分だけが反抗することはしなかったらしい。自分だけが歯向かったとしても連帯責任を取らされみんなに迷惑がかかると考えたからだそうだ。その中でひとりはみんなのために、みんなはひとりのためにということを学んだと言う。本当に現状を変えたかったら、現状を変えられる立場になるまで忍耐したらいいと夫は言った。その方が早いと。

2.私にとっての理不尽な経験について

 一言で言うと思考の始まりだ。理不尽な経験とはしばしば「どうして私だけがこんな目に遭わなければならないのか」ということだと思う。私が生きてきた中で一番大きな理不尽な経験は病気になったことだろう。以来、長い間なぜどうしてと考え続けてきた。現在は自分の病気を受け入れているが、その過程で少しは人間として成長できたと私は思っている。それを通して自分の人生を納得して生きることができるようになった。理不尽なことを経験し、それを受け入れて生きることは人生に対する大きな示唆を与えてくれるだろう。

3.夫と私の会話の結論

 その理由に違いこそあれ、二人とも理不尽な経験は大事だという結論に至った。だから息子にも理不尽な経験をしてほしい。しかし、親がそれを故意にさせることは必要ないと私たちは思っている。なぜなら、理不尽な経験とは、生きていれば自ずと出会うものだからだ。

4.異文化と出会う

 とは言っても、子どもが成人する前に理不尽な経験をすることができるような環境を作ることであれば親にもできるだろう。理不尽なことは、異質なもの、つまり異文化に出会ったときに経験することが多いのではないか。異文化と出会う機会にはどういうものがあるだろうか。

  • 価値観の違う人(外国人、世代の違う人、育った環境の違う人)と接する
  • 読書、映画鑑賞
  • 生活する環境を変える

 まず、馴れ合いの人間関係から理不尽なことは生まれやしないと私は思うので、様々な価値観の人と接すると良いと思う。そのために留学やホームステイをするのも良し、自分の住む地域のマイノリティと接するのも良し、両親の同僚や友人、祖父母と接するのも良し、学校で多くの人と交流するのも良しだ。また、人の考えを知るという意味で本を読むのも良いし、より視覚的に物事を捉えるために映画を観るのも良い。親としてはこれらを与えるのを惜しむことはしたくない。高校や大学で育った地域や国を離れて暮らすのも良いだろう。

5.最後に

 始めの方の夫と私の体験を読んでお気づきの方もいるだろうが、私たち夫婦はまさに異文化交流だ。夫婦には似ている者同士がなることもあれば、異なる者同士が惹かれ合うこともあるだろう。私たちは後者だ。衝突が避けられず大変ではあるが、家庭には異なる価値観があった方が子どもにとっても良いと私は思っている。価値観は違えど今回のように考えが一致することもあるわけで、その都度お互いのことを深く知りながら子どもにとってより良い家庭生活を送るには何がいいのか共に考えていきたいと改めて思った。

 

 

息子を保育園に預けてみて感じること

 息子が保育園に行き出してひと月が経ちました。最初の1週間こそ毎朝泣いたものの、今ではすっかり慣れて、お迎えに行くと心底うれしそうな幸せそうな顔をして保育士さんに抱かれているので、私は心から安心しています。

 この1ヶ月と少しの間、私は保育園のありがたみを噛み締めています。もちろん預けられること自体がものすごくありがたいのですが、最近は「保育園は子育てパートナーだ」という言葉の意味が実感として感じられています。たとえばトイレトレーニング、飲み物をコップで飲む練習、スプーンで食べ物を食べる練習、どれを取っても最初の段階から相談してプロの意見を聞けることがとてもありがたいです。

 振り返ってみると、保育園に預ける前、自分で息子を見ていたときは自覚していた以上に孤独だったのだなと思います。離乳食ひとつ取っても、息子が食べないとその全責任が自分にあるかのように感じ、本やネットで調べて知識をつけたり、ほかのお母さんたちに相談して自分を安心させたり、そういうことでいっぱいいっぱいで、常にプレッシャーにさらされていたな、と改めて思います。

 お母さんたちが同じお母さんたちとの繋がりを求める理由が手に取るように分かった気がします。きっとお母さんたちは孤独で、不安で、相談する相手を求めているのだと思います。そんな私たちお母さんに、保育士さんというプロの存在は本当に大きいものです。息子にも私にもいつも優しく、労りや励ましの言葉をかけてくださる方さえいます。しみじみと感謝の気持ちでいっぱいです。この環境で息子といっしょに私も少しずつ成長していきたいな。

 最後に、子育てにまつわる色んな問題がありますが、喉元過ぎれば熱さ忘れるとならないよう、今後も継続してそれらについて関心を持っていきたいものです。