10月6日 波長
波長が合う人と合わない人がいる。合う人を大事にしたい。
10月5日 いい日
生きていたら、すごくいい日、というのがあるものだ。
最近は少し朝起きるのがつらい。というより、お布団で寝るのが好きすぎてずっと寝ていたい。だけどまず手足を動かし、上半身を起こすことから始めて、えいやっと起きる。私は起き抜けは寂しかったりネガティブな思考のことが多いので、「今日はきっといい日になるよ。」と自分で自分におまじないをかける。
家で作業をするといつの間にか別のことをしたりしてしまうので今日は外出する。ただ休日はWi-Fiのあるところには中高生がうわっと押し寄せているから、避けるのが無難だ。なぜって、私は人の多いところや大きな音のするところは苦手だから。
とあるところに行き、Wi-Fiをつなぐ。11月に参加するイベントの準備を淡々とする。疲れたら外に出て空を見上げる。今日はいい天気だ。
お世話になっている人が会いに来てくださる。なんちゃない話をつらつらとして解散。Webミーティングをして午後からは別のところへ。
そこで予想外の心のこもった贈り物をいただいてしまった。絵本を2冊と、応援していますとまさかの金封にお手紙。何よりその気持ちがうれしくて。
うれしくて帰りの車で泣く。わー私、原稿書けるだろうか、と思いながら。そう、実は取材だったのだ。
帰宅して原稿を書く。
お風呂に入ったら大学の頃の友人から10数年ぶりに連絡が。
今日はなんていい日なのだろう。
私はなんでか自分が愛されないと思っているけれど、それはきっとただの思い込みだ。そしてそれは自分で自分を愛していないことと同じだ。自分で自分を愛してあげよう。大丈夫だよ、ほら、あなたは素敵な人じゃんかって毎日自分を肯定してほめてあげよう。
ここまで読んでくれたあなたも、きっと素敵な人だから。今日もいいこときっとあるよ。ありがとう。
10月4日 日々
日々が過ぎていく。
朝は7時ごろに起き、夜は10時ごろに寝る。きわめて健康的な日々。
あごの下に吹き出物がある。少し前よりだいぶ良くなったけれど。その話を友人としていて、「ストレスがなくなるといいかもね。」と言われた。
振り返ると、ストレスがない日々なんてなかった気がする。私の気の持ちようなのだろうか。
9月29日 読書
夜。外では虫が鳴いている。
ここ数日調子が悪かった原因が分かった。いつもそう。バイオリズムだと分かっていても、月のものが来て実際にそうだと分かるまでは不安だ。
「話す」と「聞く」はセットだと誰かが言っていた。そのことを実感する出来事が最近立て続けに起きた。一方的に話されるとしんどい。ずっと黙って聞いていると息が詰まってくる。適度に相槌でも打って呼吸していないと苦しくなってくる。聞くって大変だ。
夕方は本を2冊読んだ。しばらく読書に精を出そうと思っている。
9月28日 音楽とお風呂
音楽とお風呂は偉大だ。どちらも私に元気をくれる。落ち込んでいても体が重くても、お風呂に入ればスッキリする。音楽をかければ少し気分が楽になる。魔法なんじゃないだろうか。
9月27日 朝の散歩
外を見ると、日が昇りはじめていた。秋の朝があまりにも気持ちよさそうだったから散歩することにした。
朝の空気がひんやりと心地いい。色づきはじめた稲の穂。赤白の彼岸花。
遠くに見える山の稜線。あれはなんという山なのだろうか。私はこのまちで生まれ育ったのに、知らないことがたくさんある。知らなくたっていいのかもしれない。
ほんの10分くらいの散歩。
徒歩5分の場所にある河川敷におりて戻ってくるだけの散歩。
それだけで晴れ晴れとした心持ちになった。
退屈することが嫌いだ。暇だと憂鬱になる。
でも散歩をしていたら、私は暇なんかじゃないってこと、思い出した。
押入れの片づけ。小冊子の作成。作品をつくること。
生活するお金に結びつくわけでもないこまごまが私の心を何より満たしてくれる。
うつ日記①
三日前からうつになってしまった。きっかけはここには書かないけれど、あった。それで朝から涙が止まらなくなってしまった。もしかしたら五日前の無理がたたって疲れがあったのかもしれない。
その日、朝からいつも通り出勤したけれど、昼休みになったらやっぱり涙が止まらなくなってしまった。昼食もとらずに必死の思いで頼りにしている人の元へ行き、話を聴いてもらっていたら、昼休みの終わる時間までに職場に戻れなくなってしまった。
職場に遅くなると連絡を入れて、結局戻ったのは午後の就業時間から一時間以上が過ぎてからだった。その日は不在にした分を後ろにずらして勤務して帰った。
二日前、判断力がものすごく落ちていて、息子の送迎をどうするか、出勤をどうするか決めるのにものすごく時間がかかってしまったけれど(たぶん二・三時間くらい)、結局息子は支援センターの方に送ってもらい、仕事は在宅にしてもらった。急ぎの仕事だけ二時間ほどして後はずっと横になっていた。
昨日、息子を夜も預ける手続きをした。とりあえず三日間。仕事は今週いっぱいお休みをもらうことにした。本来なら病院に行かねばならないところだけど、行きたくなかった。だから私は自宅療養をすることにした。
とはいえ自宅でただ寝ているだけというわけにはいかない。息子のこともあるし仕事のこともある。支援センターの人や母、それに職場の人たちにいつまでも迷惑をかけることはできない。私には今週いっぱい休む、すなわち今週いっぱいでできる限り回復するというミッションがあるのだ。
私は方針を立てた。休むとはいえ、食事・睡眠・運動をしっかりやること。食事は一日三回、定刻に、栄養のあるものを。たとえ辛くても毎朝七時には一度起床すること。日中の暖かい時間帯に近所を散歩すること。
今朝は六時に目覚ましが鳴った。いつもはこの時間に起きるからだ。しかし体は重い。頭も重い。布団の中でぐずぐずしていたが、昨日立てたばかりの方針を思い出して、なんとか起き上がった。時計を見ると七時。
白湯を飲みながらぼーっとした頭を覚ます。覚めない。体は重い。このままだと横になってまた寝てしまう、と思った。そこで家事をすることにした。お湯を沸かしてお茶を作る。皿洗いをする。着替えて洗濯機を回す。窓を開ける。居間を片づけて掃除機をかける。洗濯物を干す。
誤解のないように書いておくが、体はしんどい。とてもきついけど、義務感でやりきった。こたつに戻り、しばらく横になる。ぼーっとした頭で今日一日何をしようかと考える。一日中寝ていたい。休養が目的だから寝る時間が多いのは構わない。だけど、食事・睡眠・運動をちゃんとしようと思ったら、けっこうやることはある。
五日ほど前から鼻づまりが酷いので、耳鼻科に行こうかとも思ったが、さすがにそれは無理だった。代わりに葛根湯を飲もうと思うが、まだ買いに行けていない。買い物はできればスーパーまで行こうかと思うが昼からにしよう。どうしても無理だったらネットスーパーだってある。
しばらく休み、散歩へ行くことにした。近所の神社まで車で向かう。そこはなんだか寂しい神社だった。スカスカというか。どうしてだろうと考えながら境内を歩く。しめ縄を見ると、ビニール製のようだ。それを見て分かった。ああ、この神社には人の手が入っている感じが薄いのだと。
近所の方が全く来られないわけではないだろう。木の枝がまとめておいてあったり、ご神木にそれと分かるお札が張られていたり、人の手が入っている気配はある。しかし全体的に、細やかな愛情を感じられないのだ。
私たちが感じる神社の厳粛さは人の細やかな手作業の上に成り立つものだと分かった。もしかしたら私が感じた寂しさは、この神社に祀られている神様が感じているものなのかもしれない。
橋を越えた向かいにもう一つ神社があるので、車でそちらへ向かう。ここは厳粛さの保たれた神社だ。しかししめ縄はここもまたビニール製ではあった。お詣りを済ませると疲れがピークに達し、あまり周囲を見て回らずに帰宅した。
今から昼食までまた少し休もうと思う。