ちゃらんぽらん日記

日々のあれこれ

私の仕事観

 私は今の会社に、まず第一に経済的に自立するため、そして自分に自信をつけるために入社した。入社して2年が経った。現在、それらの目的はほぼ達成された。私は悩んだ。次のステップへ進む時期ではないのか。悩む中で、本を読んだり、人の話を聞いて、考えた。その中で新しく気づいたことがある。とりたてて書くようなことでもないが、私にとって大事なことなので書いて残しておきたい。
 先に書いた私が入社した目的は、そのまま当時の私の仕事観だった。恥ずかしながら、そこには自分のことしかない。
 仕事とは、まず第一に相手がいて成り立つものだ。だから、仕事とは、何者でもない自分が人の役に立てる貴重な手段である。学生の頃から「人の役に立ちたい」と考えて職業を選んだ人たちのことを私は無条件に尊敬する。私にはその思いが欠けていた。
 私たちは、仕事を通して人と、社会と繋がることができる。仕事をすることで、自分を必要としてもらえる。仕事をすることは、社会の中に自分の居場所を自分で作るということだ。これらのことを自分の殻に閉じこもってばかりいた頃の私に教えてあげたい。
 そしてまた、改めて認識したこともある。人生は日々の生活の連続だ。生活には様々な要素がある。食べること、寝ること、好きなことをすること。働くことも生活の一部を成す大切なもののひとつだ。働くことだけ生活から切り離して考えることはできない。
 これから仕事をしていく中で、私はもっと生きる喜びを感じたい。そのためには何ができるのだろうか。私は何がしたいだろう。それを考えて実行していく中で、仕事観もまた変わるだろう。それが楽しみだ。

働きながら好きなことをする

 今日は自分がいま行っている仕事について改めて考えてみた。人の役に立つことや考えることはいまの仕事ではできないのか。再度考えてみると、小さなことではあるものの、それなりに人と交わりながら誰かのために仕事をしているのだし、考えながら仕事をできるかどうかは私次第だという気がしてきた。
 それから、他の職業に就く可能性も考えてみた。適性であったり年齢であったり、現実的なところで可能性は小さくなっている面があると感じた。ただ、これは現時点での可能性であって、これから先の生き方次第ではまだ見えない可能性だってあるはずだ。
 これらを考えた上で強く感じたのは、自分の好きなことや得意なことをしたいという思いだ。それは、学びたい、考えたい、書きたいという何年も持ち続けている思いだ。
 では、いまの仕事を続けることと、好きなことをすることは、二者択一なのだろうか。働きながら好きなことをするという選択肢はないのだろうか。そう考えていたら、あるラジオ番組で次のようなことを言っている人がいた。
 生活は好きなことだけをするのではなく、色んな責任を果たしたり、困っている人を助けたり、色んなことを含めて生活だ。生活の中に働くことがある、と。
 この言葉は至極まっとうに私の心に響いた。新しいことへの挑戦からの逃げではなく、私に与えられた持ち場で果たしていくべき責任もまたあるのではないか。覚悟を決めた上でいまの仕事と向き合えば、新たな景色を見ることができるのではないか。
 今日はそんなことを考えた。明日はまたぜんぜん別のことを考えるのかもしれない。焦らずゆっくりじっくり考えていきたい。

最近考えていること

 ここ2週間ほどずっと、仕事について考え続けている。私にとって仕事とは何か。私がやりたいことは何か。簡単に答えは出ない。でも何となく掴めてきたことは、私はもっと仕事を通して人の役に立ちたい、そのことを通して喜びを得たいと思っているということだ。何らかの形で「人」を相手にし、そしてじっくりと考えながら進める仕事がしたい。自分の持っているテーマの延長上にヒントがあるのだろうけど、まだ辿り着かない。いずれにせよ、そのテーマに関してもっと勉強が必要で、勉強だけでなく「人」と関わることが大切だ。この二つは車の両輪のようなもので、どちらも不可欠だ。答えが出ていないので尻切れトンボのような文章になってしまったが、今日はここまで。

私が思う母親の大変さについて

 よく、育児は大変だ、と言う。辛い、という声さえ聞く。しかし私は、育児そのものが大変なことはあまりない。第一に夫がとても協力的であるし、以前書いたように産後すぐにマタニティブルーになったことをきっかけに多方面からサポートを受けられているからだ。子どもがなかなか寝付かないときやなかなか泣き止まないときは苦労するが、それが育児の本当の辛さではないと私は思う。
 では、何が辛いのだろう。私は最近本を読んだり考え事をすることに精を出している。それは有意義だし充実した時間でとても楽しい。なぜならば、私が私でいられるからだ。育児において、母親にはややもすると「私」がなくなってしまうから辛いのではないか。要するに、アイデンティティの問題だ。
 出産前、私は私だった。しかし、いま私は子の前では「母」でしかない。本当は母でない自分もあるのに、育児に没頭していると、その自分を見失ってしまいそうになる。特に、今は育児休暇中で仕事をしているわけでもないから、仕事人としての私は今はいない。要するに、本来ならば、母としての私、仕事人としての私、個人としての私、三つ揃ってはじめて私らしくいられるのだ。そのことを、夫に、親に、周りの人たちに理解してもらいたいと思う。
 昨年度末に放送されたNHKスペシャルで、子育ては「共同養育」が本来の形だったとされていたことを思い出す。子は母が一人で育てる必要はないし、母は育児だけで満たされる必要はない。夫の協力、親の協力、外部の人の支援、様々な人と関わってはじめて健全な育児が成り立つ。母親は誰でも罪悪感を持たずに自分の時間を持っていいのではないか。子どもがいても、一人の人間として自分らしく生きることを考えたって良いのではないか。そうでないと、いつか育児から離れたときに、抜け殻のようになってしまうと私は思う。

妊娠したときに読む本

<とりあえず一冊>

エッセイ

芥川賞作家が贈る妊娠・出産・育児エッセイ。読んだときは「最高の一冊に出会った!」と思った。当時まだ妊娠中だった私は、著者の妊娠期間のハードさを傍観者が眺めるようにして読み、出産と育児のハードさに怯えたものだった。しかしだからこそ最後は感動するのだ。おすすめ。

きみは赤ちゃん

きみは赤ちゃん

 

実用書

妊娠したはいいものの、何に気をつければいいのか、出産にはどれだけお金がかかるのか、何も知識がないという方におすすめ。季刊。

 

<出産・育児が不安なとき>

エッセイ

読み終えたら、出産も育児も何とかなる気がしてくる。『きみは赤ちゃん』を読んで不安になった人におすすめ。

笑う出産―やっぱり産むのはおもしろい

笑う出産―やっぱり産むのはおもしろい

 

 

<経済的なことが心配なとき>

ムック

出産にかかるお金・出産でもらえるお金から、保険の入り方や住宅ローンの組み方まで。鵜呑みにするのはどうかと思うが、あくまで考えるとっかかりにするのに良いかと。年度ごとに新しいのが出る。

赤ちゃんができたら考えるお金の本 2016年版:ムック (ベネッセ・ムック たまひよブックス)

赤ちゃんができたら考えるお金の本 2016年版:ムック (ベネッセ・ムック たまひよブックス)

 

 

<妊娠中の食事について知りたいとき>

レシピ本

妊娠中のレシピ本はいくつかあるが、私が使いやすかったのはこれ。後ろについている索引が使いやすい。

赤ちゃんがすくすく育つ!妊娠中の食事

赤ちゃんがすくすく育つ!妊娠中の食事

 

 

<無痛分娩について知りたいとき>

 出産に痛みは伴うもの。一度無痛分娩という選択肢を考えてみても良いかも。ちなみに私はこの本を読んだ上で自然分娩を希望することに決めた。

無痛分娩のすすめ

無痛分娩のすすめ

 

 

<流産してしまったとき>

 エッセイ

流産の悲しみは計り知れない。そんなとき、この本を読むと受け入れ方のひとつの方法をそっと差し出してくれるかも。

かわいい夫

かわいい夫

 

 

<マタニティブルーになったとき>

マンガエッセイ

つらいことはつらいと認めていいんだ、と思わせてくれる一冊。

れもん、うむもん! ――そして、ママになる――

れもん、うむもん! ――そして、ママになる――

 

 

<その他・小説3冊>

予定日はジミー・ペイジ (新潮文庫)

予定日はジミー・ペイジ (新潮文庫)

 

 

海を感じる時

海を感じる時

 

  

イルカ (文春文庫)

イルカ (文春文庫)

 

 

<その他・エッセイ3冊>

そういうふうにできている (新潮文庫)

そういうふうにできている (新潮文庫)

 

 

Mammaともさか にんぷちゃん編

Mammaともさか にんぷちゃん編

 

 

贅沢なお産 (新潮文庫)

贅沢なお産 (新潮文庫)

 

 

 

 

 

 

 

 

熊本地震を受けて私が考えたこと

 今回の地震が発生して以来、私は自分と身内を守ることばかり考えていた。私には決定的に自分と家族や友人といった身内より外側にいる人たちのことを真剣に考えることが欠けているのではないか。いつもいつも自分が自分がばかりだから、私は立ち止まっているのではないか。

 でもだから今すぐ救援物資を送るとか、募金するとか、そういうことだけではなくて、たとえば被災した一人の人のことを考え続けていくことが肝要だ。阪神淡路大震災のとき、東日本大震災のとき、考えた人は既に違うステージにいるのかもしれない。本当は何も考えてこなかったことを今回突きつけられた。

 21年前、神戸から近所に引っ越してきてしばらくしてまたどこかへ行ってしまった一人の転校生はいまどういう人生を生きているのか。大切な人を突然亡くすというのはどういうことなのか。想像するしかできない。家族が、友人が…。人の痛みを自分の痛みとして捉えられているか?日々をそんな風に思いをもって生きているか?

 私なりに考えて、長年寄り添った配偶者を最近亡くした叔母のところへ行くことにした。結局会えなかったけど、日常レベルの自分の実際の行動に落とし込んで物事を考える人でありたい。また行こう。